「毒親」とは。言葉の意味、毒親と私の向き合い方、症例など。

毒親の恨み転換プロジェクト 毒親の恨み転換プロジェクト

毒親とは

毒親とは、子どもが「毒」と感じる言葉や行動をとる親のことを表した言葉です。

親自身が「毒」と思わなくても、子どもが「毒親」と感じたのであれば、その親は確かに「毒親」なのです。いわゆる俗語ではありますが、ある意味とてもわかりやすい的確な表現だと感じます。文字の通りということですね。

 

「毒親」という言葉そのものも強烈ですよね。

「毒親」という呼び方に抵抗がある人も多いと思います。自分の親が「毒親」だったと認めるのは相当勇気がいります。

 

大前提として、親と子の関係性に正解も不正解もありません。

私のパターンは私のパターン。

あなたのパターンはあなたのパターン。

あなたがそう感じたのであれば、それがあなたにとっての答えなのです。

 

毒親の症例:子どもを大人扱いする親

毒親の症例として、子どもを大人扱いする親の例を挙げてみましょう。

子どもに対して、親自身レベルと同等にできるという誤認が前提にあるので、子どもが出来ないことにイライラしたり、キレて怒鳴ったりするのです。

 

「こんなことできて当たり前、これぐらいできるはず」

 

子どもに罪はありません。

出来るまで教えてあげればいいだけなので、キレる必要も、怒鳴る必要もない。

 

「何でこんなこともできないの!?」

 

そんな言葉を言われ続けた子は『自分はダメな子』『できない子』と、親ではなく自分を責めてしまうのです。それは「毒」だと私は感じます。

 

私自身の「毒親」体験談

母を憎んで30年

これはキャッチコピーでもなんでもなくて、事実として、私自身が苦悩していた期間です。

 

私は母親に愛されていないと思いながら育ちました。

母は弟ばかり可愛がり、私は家に居場所がないと感じていました。お前なんか産まなければよかったと言われたこともあります。なぜなんだろうか、子ども心に考えても考えても答えがわかりませんでした。

それから30年間、母を嫌っていました。

愛されなかったという思いは、深く、心に残りました。とても生きづらかった。寂しかったし、悲しかった。

けれどその思いは一度も口に出しませんでした。

私は愛されていなかったんじゃないかということを口にするのは怖かった。

 

父と母、それぞれの「毒」

私の家は、父がギャンブルが大好きで所謂「ギャンブル依存」のような感じでした。そして病弱でした。病気のせいで家にずっといました。

母が一生懸命、朝、昼、夜と身を粉にして働いていました。

 

その母は、ずっと父の悪口を言い続けていました。

母の口から毎日溢れ出る父への悪口を延々と聞くのは嫌で仕方なかった。子どもながら。

 

けれど、母の味方をしなければいけなかった。

でないと、母の心がもたないと本能で感じていたから。

 

だから、父の悪口を聞きたくなくても母の親友のように聞き続けたんです。

 

「私がいい子でいなければ」と、家のためを思っていました。そしてまるで「大人のように」振る舞って、母に接しなければいけなかった。

私は、「罪悪感」と「過剰な義務感」を持ち、世間に「普通の家庭のふり」をする嘘を演じることで自分自身への信頼感を失って、自分への自信など全く育てることができなかったのです。

 

子供らしくいられることなく育ったこと。

私が、自分の親が毒だったという由縁なんです。

 

「親」に正解不正解はない

そんな人は、私の投稿を見て、親を許すべきなのかな、できない私はダメなのかな、って思わないでくださいね。

全員、家族の形なんか違うんです。どれが正解とかないんです。

自分の1番ベストな形は自分で決めるんですよ。

 

親が決めるんじゃない。

自分で決めるんです。

 

親を許すのか、離れるのか、もっと言えば、憎み続けるのか、愛するのか、決めるのは自分です。

親がこう言うから。。。って言うことが頭から離れない時は、まだ自分で決める覚悟が足りないのかもしれないですね。

 

毒親の恨み転換プロジェクト

一人で決めれないから、私たちのようなコーチがサポートするんです。

 

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